---気がつくと、僕は暗いところにいた。
---ただ月だけが、独りきりで暗闇を遠ざけている。
---気がついてすぐの月との対話は、最早常(つね)である。
---嗅ぎなれた鉄の匂い。いつも夢の中に漂うそれは、これが例外でない事を知らせる。
---ならば、周りの風景も同じであるという仮定は?
---真であればすぐに目が覚め、「日常」が始まる。
---偽であれば。
---きっと、「現実」なのだろう。
---真であることを望み、目線を月から審判の場へと移す。
---「現実」か、「平穏」か。
---真偽は、僕には判断できなかった。
---目の前の壁には一人。いや、一体と言うべきか。
---それのみが存在する、それだけが日常への唯一絶対の鍵だ。
---だが、足元にはもう一体。
---ならばこれは、僕にとっての「現実」なのだ。
---そう知覚した矢先。
---体が痛みを訴え、頭が活動を拒否し始める。
---それでも、倒れることは出来ない。
---まだ一つ、残っているから。
---湧いて降ったその事実は、僕にとって好都合だ。
---喉の渇きに似た感情が膨れ上がる。
---渇きは体の痛みは消し、血の味は頭を納得させる。
---ああ、狂人とはこのことなのだろうとの考えがよぎった。
---ゆっくりと振り向き、獲物を視界に捕らえる。
---狂人は、最後の獲物をどうするものなのだろうか。
---声が、聞こえた。
---その声は獲物を視界から消し去り、体の不調を復活させる。
---終わりを告げる声は、ゆっくりと、僕の瞼を開けた。
「お、目ぇ覚ましたみたいだぞ」
「翔くん!!」
声のするほうへ首を向ける。どうやら、俺は横になっているらしいことがそれでわかる。
最初のお出迎えは真紀だった。
「なかなか起きないから心配したよ・・・」
いきなり飛びついてきて、ほっとした表情をする。真紀らしいな。
「ここは?」
「保健室。みんなここにいるの」
・・・何を言っているんだか。みんなって。
ゆっくりと体を起こす。が、すぐに軽い頭痛に襲われる。
「大丈夫?」
よほどひどく見えたのか、涙目になって覗き込んでくる。
「覚えてないかもだけど、翔くん、頭殴られたんだよ」
ああ、飛び出してそのままやられたのか。情けない・・・。
「なんとか。それよりみんなって誰のことだよ」
「あ、そういえば翔くんは知らなかったんだ。じゃ紹介するね」
あっち、と真紀が向いた先には四人。
・・・真紀が怯えてたあの二人がいるな。
「ええと、左から・・・」
「丹波さん、ここは自分たちで」
どこぞのお嬢様風の女が言葉をさえぎる。
・・・丹波?ああ、真紀のことか。忘れてた。
「そうだね。じゃあお願いします」
「はい。」
一歩前に出て、お辞儀をする。
それだけの動作なのに、やけにお嬢様な雰囲気が出ている。
「松屋麗衣(れい)です。どうかよろしく」
後ろへ下がる。やっぱりお嬢様風だ。
次は、凄く気の弱そうな男が出てきた。
「・・・鈴木、拓。どうも。」
言い終わると、縮こまってしまった。
調子狂うなオイ。
「ええと、うち達の番か。あたしは細木由美。でこっちが考。」
「お前な、俺の出番取るんじゃねえ」
「良いじゃん。大して活躍もしてないし」
「しただろうが!」
「おいしいとこ全部松屋に取られたくせに」
「う・・・」
「ああ、みんなきょとんとしてるじゃない。ま、とりあえずよろしく」
こいつら、本当に真紀が怯えてた奴らか?
うわ、真紀すっげえ楽しそうだし。
「おーい。俺に仕事させてくれー」
場の全員が声のほうを向く。
そこには、やたらとくたびれた白衣を着たおっさんがいた。
保健室で白衣。おそらくは先生なのだろうが少し異常だ。煙草くわえてるし。髭凄いし。
「お、兄ちゃん起きたか。なら大丈夫だ。帰ってよし」
「え」
「何だその顔。俺、頭打ったんですよね?ってか」
「おまけにずいぶん長い間気絶してたんですよね?」
「ああ。だが大丈夫だ。心配するな。病院に行くこともないし明日学校を休むことも無い」
・・・ほんとか?
「まあ、学校側がうるさいからもう一時間だけここにいてくれや。六人で交流でも深めてみるのもいいぞ」
じゃ、と言って去っていった。もちろん煙草を火がついたまま床に捨てて。
いや、たしかに?床はタイルだから燃えないけどさ?
「凄い先生でしょ?」
真紀が嬉しそうに聞いてくる。
「いろんな意味でな。で、今何時だ?」
「十二時。二時間寝てたんだよ?」
「じゃあ帰るのは一時か」
どうするかな、と考えていると細木が声をかけてきた。
「お二人さん?うちら帰るわ。さすがにこの時間だし」
「わたしもおいとまさせていただきます。無事起きられてよかったですね。」
「ま、詳しいことは明日話そうや。ゆっくり休みな」
みんな出て行った。ただ一人無言だったが。
あと一時間。詳しい話を真紀から聞くことにしよう・・・。