麗衣さんが泣きやむまで、ずっと頭を撫でてあげていた。
抱きしめるためには、まだ覚悟が足りなかったから。
「ねえ、麗衣さん?」
「はい」
まだ涙が残っているのか、その声は震えていた。
「今度は僕に」
----いや、もういいだろう。
さっき、俺と口走ってしまったし。
この人だけには何を言ってもいい。分かってくれる。
そんな気がしたから言い直した。
狂いそうな自分を抑えるための気弱な仮面は外して。
もう、この人の前では狂わないだろうから。
「俺に、麗衣さんの話を聞かせて?」
「・・・わかりました」
心なしか、麗衣さんの目は涙以外の感情で目が潤んでいる気がする。
でもその感情に対する経験が俺にはなかった。
だから今は放っておくことにした。
近いうちにはっきりさせるから。
「私は、拓さんと同じような道を歩いてきました。
つまり、親類の死を早める存在でした」
麗衣さんがぽつぽつと喋り出す。
俺と同じだという彼女は、一体どんな過去を持っているのか。
それがひどく気になる。
「ただし、拓さんと違うのはそれが家族以外に認知されてないことなんです。
それがずっと不思議でした」
「なんで認知されなかったの?」
「それは、私が会った人は皆回復するんですよ。どんな状況にあっても。
例外は一度もありませんでした」
「じゃあ噂が立つわけ無いよ?」
「ですが、そのあとが異常に早いんです。坂を転がり落ちるように、ころころと」
麗衣さんの目が、だんだんとうつろになっていく。
「あまりにもその様が美しくて、誰も気づかないんですよ。
死に際に一時だけ輝いて、燃え尽きる。
まるで物語のように死んでいく。それは美しいでしょう?理想とされることでしょう?」
頭に置いた手がこわばり、いつしか手は止まっていた。
自分の無力さに歯噛みする。
俺は、何をしてやれるんだ?
「そのことに気づいたのは大好きな祖父でした。末期の彼は私との面会を頑なに拒絶しました。
聞き分けの良かった無知な私は、祖父のためならと会うのを我慢していました。
ですが、私は会ってしまったのです。ちょうど外に散歩に出ていた彼に」
麗衣さんの目は、もう俺を見ていなかった。
「こじらせた風邪で、友達が同じ病院に入院していたんですよ。ああ、その子は今でも生きています。
その時の祖父はひどく怯えていました。彼は私が近づくと、持っていた杖で追い払いました。
まあ、それが私が最後に見た祖父の姿です」
それ以上は言ってはいけない。言わせるわけにはいかない。
「もういい。もういいよ」
この子はそこから出なきゃいけない。
過去しか見えない部屋から出なきゃいけない。
でも、俺にその部屋を壊す力はない。
なら、俺に出来る最大限の救いは?
「お葬式で、私は真実を両親から知りました。死んだのは私のせいだと。
それから私は奪ったいのちの多さに泣き崩れ、今も泣いています。
これが、私の全てです」
そこまで言って、目が俺を捉える。
「・・・俺には何でこの相談を」
「私は、慰めが欲しかった。同じ世代で同じ境遇。傷をなめ合うのにこれ以上の相手はいません。
ですから、解決できなくてもお互いのよりどころにはなります」
「俺のことは最初から知ってて?」
「いえ。拓さんのことは兄から」
沈黙。
麗衣さんが自分を取り戻すための優しい時間。
気づくと、いつのまにか抱きしめていた。
しばらくして、いつもの声が耳元から。
「一つ、誤解しないで欲しいことがあります」
「それは?」
「私は、あなたを救おうと思った。それが全ての始まりだったと。そして、それは今も変わってないと」
「俺が救われたら、誰がお前を救うんだよ」
「あなたです」
「俺がどうやって救うって言うんだ?」
「そこにいてくれるだけで、私は救われます。・・・・男の人には度し難いと思いますが」
抱きしめ返される。
俺がやるよりもずっと優しく。
まるで、風に包まれているかのような強さで。
「ですから、一緒に過去から救われてください」
しばらく抱き合ってて、唐突に恥ずかしくなった。
「一緒に住むって言っても、俺は家のこと何にも出来ないぞ」
「失礼ですね。一応花嫁修業は終わってますよ?」
・・・もっと恥ずかしくなった。
なんだか悔しいから、強めに抱きしめてやる。
すると、麗衣さんももっと力を強めてくる。
・・・もっともっと恥ずかしくなった。
やけになった。
どこまでも行ってやろうと思った。
「じゃあ、おいしい料理作ってくれる?」
「はい!」
向かい合って、最高の笑顔で返事を貰う。
恥ずかしさはどこかに飛んでいった。
麗衣さんの料理は本当においしい気がした。
きっと、おいしい味がするだろう。